人は、迷ったり、悩んだり、苦しい時は、誰かに話を聞いて欲しくなる時があります。
一人で思い悩んで、苦しい思いをしてる人もいると思います。
そういう時、誰に話を聞いて欲しいのか?
友達?家族?恩師?占い師?カウンセラー?
以前、私は全部試しました。
うつになり、心身ともにしんどい時期がありましたが、
そういう時に、藁をも掴む気持ちでどこかに救いがあるのでは?と探し求めて。
でも、結果は結局、、、自分で見つけるしかなかった。
自分で這い上がるしかなかったのです。
とことん落ちて、誰の助言も
腑に落ちず、どうしたらいいのやら?と日々辛い気持ちでしたが、ある日突如、
「なぜ、こんなに落ちてるんや?結局何に頼っても、自分で気づくしかないのに。。」
と、ベッドの上で気がつきました。
その次の日からは、徐々に1mmづつでも前向きに歩けたんです。
そうすると、不思議にやることがどんどん舞い込んでくる。これをやりなさい。
こうしなさい。的な。
弱ってる時ほど、そこにつけ込んで来る人もいるし、信じてしまう時もあるけども、
冷静になってみると、明らかにおかしい人だと、後で気づいたりもします。
そういう経験も、一通りすると、一時は何故自分は孤独なんだ?
と嘆いたりもしましたが、
今となっては、全くそう思わなくなりました。
神社仏閣に行く事で救われる事もある
日本は、昔から神社やお寺が各地にたくさんありますが、いつからか神に手を合わす機会が
めっきり少なくなりました。
目に見えないものは、信じない、非科学的な思想が現代では当たり前になってますが、
目に見えないもので、世界は成り立ってるという事も現実です。
例えば、ネット(通信)も原理は分かっていても、目には見えないし、音楽の音も見えません。
匂いや、暑さ、寒さの気温など、動物には感じる第六感や、目に見えないもので、当たり前に
なってる現実はたくさんあります。
ただ、神事になると自分たちでは、見て取れない世界の事なので、信じる力がグッと減るのが、
切ない世の中です。
人に悩みを打ち明けるのも、ぐっと我慢してしまう人もいます。
もし、そんな時は「困った時の神頼み」でもいいと思うのです。
実際、私はそうしました。
本当に心から手を合わせると、不思議な事に何か変化があります。
小さな事かもしれないし、大きな事かもしれないけど、
何か起こると信じて。
万人に感じる力があれば、また違うのかもしれません。
近代化が進むにつれて、テクノロジーが発達し、神様に頼らなくても、便利な世の中になってきたのは、
良い反面、相反する事も問題になってきてます。
外に出なくても、ネットで人と繋がれる、買い物もできる。
ゲームも動画も観れるし、コミュニケーションが減る一方です。
子供でも、大人でも、コミュニケーション障害の人は増え、不登校、失業、体の不調、
精神的にもバランスが崩れていきます。
人間は、機械ではないのでAIのようにチップでは動きません。
心がある動物なので、そこが問題です。
ストレスという言葉を調べると
生体に、外傷・中毒・寒冷・伝染病・精神的緊張などの刺激が加わったとき、生体の示す反応。
俗に、精神的緊張。
身体も心も限界を達すると、ストレスというコントロール不可な反応が起きて、免疫力も低下してきて、
様々な不調に繋がるという事です。
全てはほどほどに、無理はしないでおきましょうと、身体は訴えて信号を送っているのだと私は思ってます。
自分あっての、この人生。
大事に大切に日々生きていきたいと思います。
合掌。